やっていますか?って、、、はい。やっています。

母から、電話があった。
最近、お客さんが来ないんだよ、、、って。

来てくれる人は必ず電話かけてきて「やっていますか?」って言われる。
やっていますよって言うと「あああ、よかった」ってよろこんでくれるんだけどね。

ん?

気になったのでサイトを見ると、お知らせには臨時休業のお知らせが載ってる。
こっちのブログも、続けるために休むこと、、、で終わっている。

あ、なんか、総合的に、今は、やったりやらなかったりに見えてしまっているかもな?って思いました。

おかげさまで母は、とても元気で、毎日、毎日、店を開けています。
でも、たまに体調優先のときもありますので、遠方の方は念のため電話でのご予約をおすすめします。

先日、沖縄から友人が母の店の紹介番組を見たということで来てくれました。
久しぶりに店側でお客さん目線で店にいたのですが、いや元気だなと思いました。

家で話していると、年齢のせいか物忘れがあったり、よくわからないことを言ったりするのです。
ま、年齢的にしょうがないな、って思っているのですが。
お客さんが来てくれると、こんなに昔のままで店をしているんだと思いました。

ただ、少し、しゃべりすぎですよね。
いい肉なのかもしれませんが、ゆっくり味わってもらうために、静かな環境を!と思いました。

いらしてくださるお客様は、このおしゃべりにもつきあってくださっているんだなと。
母に言われば、みなさん聞いてくれてると、関心を持ってくれていると豪語しますが、、、ご迷惑でないことを祈ります。

食べればおいしいのはわかるから。
お店では味わってもらう環境づくりをしていただきたいと、思った、お客さん体験でした。

長く続けるために休むこと

あけましておめでとうございます。

新年早々、母はダウンしました。年末に、以前収録された番組が再放送されたらしく
年始早々、忙しかったようです。ただ、年末年始には、ふだん近くにいない孫も来ていたり
休みでほっとして年末の疲れが出たり、年始の休みは人が来たり、出かけたりが多いので、
よおどつかれたのでしょう。めずらしく体調を崩しました。
高熱が出ました。幸いインフルエンザではなかったようです。

それでも、母は店を開けようとします。一度、開けて、、、やっぱり無理だと閉めます。
高熱にうなされているときでも「1日寝て、なんとか次の日は開ける」ということを意識しています。
若いころ肉屋をしていたときは熱が少しあるくらいでは休んだことがありません。
そのころやり通したことが本人の基準になっていて、「知らずにお客さんがいらしてくれたら、、、」と
今でも、毎日、店を開けようとします。

毎朝、電話越しの声で「入院すれば?」と思うような段階から体調が回復してくる様子をみていて
近所にいる弟や妹、姪からの情報などを聞きながらも休むように言い続けました。

「ずっとなにもしていないなら、店で倒れて死んでも本望」と、よく口にしますが
ほんとうにそんなことになったら洒落にもならないと諭したり、、、ま、どう考えても開けられない状態でも
開けようとします。1日、1日、朝に電話で様子をチェックしながら説得が必要です。
いついつまでは休んだほうがいいということでは納得できないようです。

休んで5日目の今朝は、ほぼ元気なのもわかりますが、ずっと休んでいたので体力が足らない感じでした。
もう1日休んで、定休日2日を過ごせば、来週から時間短縮でも営業を始められると思いました。

「きょうは、開けないと」という母に、若い時とは違うから、そういう考え方は間違っていると言いました。
少しでも長く続けるというのは、こういうときに無理をせずにしっかりと休むことだと。

なにか思うことがあったのか、めずらしく素直に「そうだね。もう1日休む」と言いました。
この仕事を少しでも長く続けたいという想いが強いんだなぁと、改めて思いました。

ある意味、高齢な母が、ひとりで店を続けていられるのは、お客様へご迷惑をかけながらのことかも
しれませんね。いつも、母を支えてくださるお客さまたちの存在のありがたさと母の幸せを改めて思った
母の体調不良の日々でした。

雲行きが、、、^^

主の年齢が年齢なので長く続けられるようにと営業時間を変更しました。ところが、肝心の本人が、1日の使い方がわからないという悩みが始まりました。

「私は10歳のときから仕事をしてきた。身体が痛くても仕事をしていれば気持ちが納得する」

今回、休養がとれるようにとお昼の時間の営業を休むことにしたのですが、本人が休むことができないそうです。
というところに、土曜日の昼に、日曜日の午後にという予約が入り、、、きょう、明日は営業しているようです。

営業時間を切り戻すのも、時間の問題かもしれません。
下町ッ子を始める前に、母は、仕事をしない時期がありました。
40年以上仕事をし続けていて、仕事の無い時間が楽しかったのも半年くらい。
だんだんやることが無くなり、遊ぶことに飽きてきて、どうやら苦行あっての楽でないと嫌な性分のようです。
身体が動かないと言っても、その性分にあわないことはできない、、、ということなのでしょうか。

とにかく、きょう、明日は、昼間の営業があるそうです。

夜だけの営業になりました

母の店は、2017年11月1日から営業時間が変更になりました。
夜の営業(17時から21時)だけになります。定休日は従来通り、月曜日と火曜日です。

一人ですべてをやっているのですが、さすがに身体がきつくなっているようです。
あと2年で20年になるから、あt2年はやりたいと言っています。
だったら、営業時間を減らして、あと2年で終わりにしようという話になりました。

今、82歳ですからね。ああいう仕事をすること自体、奇跡だなと思います。
毎日、散歩に出て足腰が弱らないようにしているようです。
その流れで、日課のようにカフェで休憩をします。

それから店の開店準備にもどり、お昼の営業をするのが日課でした。
11月1日、2日は、お昼の営業が無いことが、とても具合が悪かったようです。
ライフスタイルが崩れてしまったように感じたようです。
また、少し時間の余裕ができたせいか、今までの疲れが出てきて、かえって疲れれると言っていました。
ならば、なおさら、もう仕事の時間を減らして、体を休めながらやっていこうという話をしました。

お昼の時間のほうが便利だったというお客様もいらっしゃるかもしれません。
事情をご理解いただいて、ぜひ、17時くらいの早い時間を予約して、引き続き、お出かっけいただければと思います。

昼の時間に、休んだり、遊んだりだけしようというのでは、実はありません。
このことは、またの機会に、お知らせしますね。

いつも、ありがとうございます。

母の食事

ぼくは肉屋の店の上が住居になっている家で生まれ育った。両親は朝から夜遅くまで仕事をしていた。起きると店では仕事をしていて。ふたりの仕事が終わらないうちに、ぼくは床についていた。そんな状況でも、食事は、必ずとっていた。母か、店のお姉さんがつくったものだったけれど、コンビニ弁当(ま、コンビニも無かった)だったり、菓子パンだったりということは無かった。

忙しい母の料理は、店にあるものを使うことが多く、一般のお家よりも肉が多い。肉が無いことは無かった。その後、小学校、中学校へ進み、周りの人の食生活がわかってくると特別なことだったことがわかる。だからか、運動をしなかったのに、ぼくは筋肉質な体格というか、よく「なにかスポーツされていますか?」と訊かれた。

母の食生活も似たりよったりで、子どものころの母のイメージは太ったおばさんだった。食べることが好きな人だったので糖尿病の問題がおこり、それからは、食療法をしたり、薬を飲んだりしていた。幸いそれ以上には進まなかった。母の食療法はいい加減で、都合のいい解釈で、肉も、白米も、甘いものも「少し」と言いながら、せっせと食べているような気がした。だから糖尿病は改善しなかった。

前にも書いたけれど、最近の母は歩くことが楽しみになっているらしく、それがよかったのか糖尿病の検査では通常の数値になってしまったらしい。それでも医学のスタンダードなのか糖尿病は治らないということで薬が出ている。母も、万が一のことがあるから定期的に通院している。薬はたまる一方だと言っていた。

糖尿病は遺伝するといわれるけれど、ぼくはずっと気にしないでいい範囲だった。最近は、健康診断の結果で血糖値や中世脂肪がボーダーを超えたりするので、いろいろと食事を気をつけていた。糖質を一切とらないとか、炭水化物をとらないとか、肉を食べずに魚を食べるとか、、、いわゆる、世の中で「よい」と言われていることを、いろいろ試した。体重が減ったりはするけれど、それほど減らず、肝心の検査の数値も変わらない。たまには上がってしまう。

そういう結果に落胆したりすると、よく思い出す本があった。3年ほど前に健康診断の待合室で読んた本だ。沖縄の内科医が書いた「日本人だからこそ「ご飯」を食べるな 肉・卵・チーズが健康長寿をつくる (講談社+α新書)」という本。読むと、それまで知っている常識とは全く逆のことが書いてあって、でも、掲載されている事例にはとても説得力があった。ひとつひとつ根拠が書かれている内容も、読んでみるともっともだなと思った。しかし、そのときに実践しようとは思わなかった。自分の思い込みまでになっている常識が邪魔していたんだと思う。

最近、また、新しい本「肉・卵・チーズで人は生まれ変わる」を読んだ。今回は、いろいろと試していたあとなので、やってみることにした。1週間もすると効果が出てきた。たまたま病院へ行く機会があり、始まり直前の数値と約1ヶ月後の数値をくらべられた。なんと減っている。ボーダーを下回るのにあと少し。しばらく続けることにした。

このMEC食、何を食べてはいけないということは無い。主食を「肉、卵、チーズ」に切りかえる。さらに、一口、30回以上噛む。これだけだ。炭水化物やほかのものも食べて構わない。でも「肉、卵、チーズ」から食べる。野菜からではなく「肉・卵、チーズ」から。1日、肉200g、卵3個、チーズ120gを食べれば、ほかに食べなくても大丈夫という。30回噛んで食べてると、お腹がすかなくなってきて、ほんとうにいろいろなものを食べなくなってきた。手を出さなくなってきている。がまんしているのではなくて、欲しくなくなっている。

あまりに簡単なので、母に「肉・卵・チーズで人は生まれ変わる」を送った。しばらくしたら電話があった。届いたと思ってから1週間以上たっていた。

母が言うには「なにか宣伝の郵便だと思って、よけていたんだけど、空けてみて読んでみたら、おもしろい。今まで、がんばってやっていたことの逆だし。もともとの食事に近いし。早速やってみたら、調子がいい」ということだった。1週間くらい経っている様子だった。いちばん感じたのは、もともと健康だった母だけれど、最近は声にはりが無くなってきていて、疲れやすいので、いつまで店ができるか、、、という話が多かった。この電話のときの母の声ははりがもどり、活力が伝わってくるような話し方に戻っている。肉屋のころは、健康を考えた肉屋と言っても、お医者さんに「肉はよくない」ということを言われると、「そうではない」という意見を探したり、「バランスの問題」と考えたり、ま、いろいろと苦労したことを思い出した。「あの時、この本があれば、どうどうともっと売れたね」と笑って話す母。今からでも売り出しそう。

日本人だからこそ「ご飯」を食べるな 肉・卵・チーズが健康長寿をつくる (講談社+α新書)

肉・卵・チーズで人は生まれ変わる

インターネットを使えない母

下町ッ子をインターネット上の情報で知ってくださった方が多い。
テレビでいらしている方のほうが数は多いと思うけれど、インターネット経由の方は、くりかえしご来店いただくようになった方が多いと思う。

そういう方々から「お母さんの店は、すごいね。ネットの評判がいいよね。前から、一度、来たかったんだ」と言われることがよくあるらしい。母は、そういうとき、「そうなんですか。ありがとうございます。私は、そういうのわからなくて見たことがないんですよ」と言うらしい。

あまりに多くて、どんなことが載っているのか印刷してほしいと頼まれたことがある。印刷してみると、けっこうなボリュームだった。書いてあることを、見てみると、それぞれ方が、思った通りのことを書いてくださっているのがわかる文章が多い。
ネットの情報も、肉声が集まると、なにか別の価値を生み出してくれているんだなと思ったことがある。

今でも、母は、インターネットを知らない。画面を通して見たことは無いんじゃないかな。
でも、今のWEBサイトは15年以上前につくったものなので、スマホやタブレットでも見てもらいやすいスタイルにリニューアルした。内容は、そのまま移し替えただけだけど、おいおい、なにか仕掛けてみたい。本人の発信ができないからな。笑
そこで、このブログを始めたというふうに言いたいけれど、実は、母と話していると残しておきたくなる話が多いので始めました。本人からは、もっと濃い熱い話が聞けます。


読んでくださって、ありがとうございます。よかったらtwitterのフォローをお願いします。
下町ッ子twitter https://twitter.com/shitamachikko_J

下町ッ子のWEBサイト

ちょっと鉛筆を貸してくれます?

めずらしく母から電話があった。用件は、なんでもアドレス帳にしていたノートが見つからない。
それを探してほしいということではなくて、そこに書かれている卵を頼んでいる養鶏場の電話番号がわからないということで大事件になっているらしい。母にとっては大事件なようだ。

その養鶏場は、あるキリスト教会が経営していて、利益よりも自然というか、鶏が気持ちよく暮らせて、自然に卵を産むという仕組みを14した牧歌的な養鶏場。放し飼いにされている鶏が鶏舎(と言っても、広めの地面にフェンスをしたくらいの鶏の運動場のようなところ)で歩き回って、産みそうになったらその場で産む。翌日産み落とされている卵を農場の人が、ひとつひとつ拾っているというのどかな養鶏が、ずっとされている。母がここから卵を買うようになって40年くらいになるんじゃないかなと思う。

母がつくるハンバーグに、卵を使うらしい。そろそろハンバーグを仕込むのに卵が足りないかもしれないということで、電話をしようとしてノートが無いことに気づいた。そこで、ぼくも含めて、妹、弟、、あらゆるところに電話である。インターネットで調べたけれど教会の電話番号しかない。しかし、この番号が使われていない。教会はあるようなんだけど、、、1〜2日かかって、なんとか連絡がついたらしい。インターネットのおかげである。

安堵して、連絡ができたと語る母の声は明るく。ハンバーグをつくるのに、ほかの卵を使うわけにはいかないということで、次の休みに養鶏場を訪ねて出かけようと思っていたと言う。こういうところが、ぼくが子供のころから頑固というか、正気の沙汰ではないというか、、、母らしい。こだわりにこだわるというか、絶対に曲げない。手に入らないときは、次の納得いくものが出てくるまでハンバーグはお休みになったと思う。

そんなこんなことは昔からたくさんあって、思い出すままに話していたら「私は、これはと思ったら価格に関係なく買う。安物でもいいなと思ったら何点かまとめて買う。」この基準を曲げないという。

この間も、朝の散歩の途中で入ったファミレスで朝ごはんをかねてお茶をしていたらしい。そこに新しい朝刊(母は新聞の名前を言っていた)があって、見ていたら欲しいものが載っていた。買うことにしたけれど、メモも持っていないので、となりのテーブルのお兄さんに「書くもの持ってる?メモしたいことがあるから借りられないかしら?」と言ったらしい。そのお兄さんはペンを貸してくれて、母は持っていた本か、ノートか、レシートかなにかの裏にでも連絡先と商品名などをメモしたらしい。

ペンを返しながら「ごめんなさいね。邪魔して。ありがとう」って言ったら、お兄さんも「いや、こんなの大丈夫ですよ。いつでも言ってくださいよ。笑」と言ってくれた。母には彼の爽やかな人柄が伝わったらしい。それがうれしかったのだろう。

「そうなの?じゃ、また、次の時もお願いね」

と言ったらしい。このどこのどなたかわからない好青年とは違い、そこでぼくが言ったのは「おかあさん、そういうときは新聞の広告をやぶって持って帰ればいいんだよ」と冗談なんだけれどまことしやかに言った。母は、予想通りの返しをした。

「え、冗談じゃないよ。朝の真新しい新聞だよ。そこを破いておいたら、次に見た人が、気になるだろう。夕方のボロボロの新聞ならいざ知らず、そんな新しい新聞を破いて持っていくなんてできないよ。いやだよ。もう、あの店に行けなくなるよ」とマジレス。この人は、自分の掟のベースに世間にどう見られるか、お天道様(太陽)はいつも見ている、ということがあって、80際になっても未だに、マジレスするんdなと思った。冗談、ジョークが大好きで、ユーモアのある人だから、このマジレスが妙に印象に残った電話だった。

母の日常

肉屋の時代から母は早起きだった。
少ない人数で、200名〜400名のお客さんを対面販売で対応していた。
牛肉、豚肉、鶏肉、ハムなどの加工品、食料品、手作りの惣菜が10種類以上。惣菜の準備は、他のスタッフが来てからはじめるので、お昼すぎくらいまでに販売する肉類をスタッフの出勤前までに用意していたらしい。
当時の店は、優良経営食料品小売店等表彰の第1回農林大臣賞を受賞(1977年)するような店だったし、なにより全国の食肉小売業の社長さんが視察に来ていたらしい。らしいというのは、今のように、他社の視察をしたり、受け容れたりする時代ではなかったので、店の外から客数をカウントしたり、お客さんのふりをして店内を観察したり、商品を購入したりしていたらしい。

「らしい」というのは、が、食肉業界に近い世界へ入って行ったときに、全国各地の訪問先で家が肉屋だったと話すと「どこ?」という話になり、「あ、おばさんがきりもりしているスゲー店だ。行ったことあるよ」と言われたのが一人二人ではなかったらしい。

父が描いた理想すぎる路線を、同じ業界の人からも反感を買うような路線を、母の理解の範囲で、ひたすらに続けていた。継続は力なり。何をしていたかといえば、早起きして、仕事をしていただけなのかもしれない。でも、その積み重ねが形になり、母の力になり、そして、その時代に比べたら、今は楽だと言いながら1人で和牛の店をやっていけるのだと思う。

今の店「下町ッ子」でも、肉はある程度の大きさで届き、長年の職人の技を駆使し、ひとかけらも無駄なく肉をわけ、さらに必要な整形をしています。つけあわせの煮物類、味噌汁、ご飯も、すべて自分で選んだ材料を、自分の手で作っています。お客さんには、自分で作ったものだけを出すという頑固さは、身体がしんどそうなときなどは、なぜ、そこまで守るのかと思うことがあります。それを守ってきたから今の自分がいるというか、母の矜持なのでしょうか。

今も、5時か6時ころから仕事をしているようです。そして、一区切りしたらウォーキングをして、カフェでのお気に入りの時間を過ごしてから店を開けます。

食流機構主催の優良経営食料品小売店等表彰の第1回農林大臣賞
※弟は母に近い仕事をしていて燻製の職人。無添加と自然の香辛料などにこだわったものづくりをつづけているぐるめくにひろの代表。

80歳になっても

久しぶりに母と会いました。
歩けなくなったらおしまいだからと、今も、なるべく歩くようにしているそうです。
携帯電話が万歩計になっていて、多いときは1日に2万歩歩くそうです。

「少なくても7000歩は歩いてるわ」

健康は足腰からなのかもしれませんが、この歩こうとする気持ちもすごいです。
私鉄沿線、1〜2駅となりの街まで歩いて、カフェで休憩をして、買い出しをしてもどるのが日課になっているそうです。
母は、長年、糖尿病を患っていましたが、今では薬がいらないくらいの数値に落ち着いていて、主治医の先生も驚いているというこでした。

母が、歩いているうちは元気なんだろうなと感じました。
さて、ばいくは、1日、何歩歩いているんだろうか。^^;