つながった母の志

ステーキ茶屋 下町ッ子の主である母は64歳のときに「やりたいことをやりたい」思いをどうしても抑えられず、
自宅の一部を店にして、わがままなステーキ屋を始めました。

自分が納得いかないものは出さないということだけを守った店は、たくさんの方々にお越しいただいて
繁盛しておりました。

情報発信については店頭のおしゃべりばかり。いろいろな口コミサイトの記事を読んでいると、
「おばちゃんのおしゃべり攻撃」とか「おいしいものを味わいたいから黙っててほしかった」とか、
私の知人にいたっては「おかあさん、すみません。この味を噛みしめていたいので黙っててください」と
言った人もいました。

83歳を迎えた秋に、気力だけでは、そろそろ限界が来たのを悟り、自ら閉店を決めました。
始めたときに「歳が歳だから10年もできたら御の字」と言っていたのを思い出します。
10年どころか19年もやっていました。

ひとえにご贔屓いただいたお客様と、ずっと主のわがままに応えてくださった神戸髙見牛牧場のみんさまのおかげです。

いざ、閉めると決まったら、最後にもう一度と思っていただけたのか、たくさんの方がいらっしゃいました。
賑わいのある店として終わることができました。母は嬉しかったと思います。

閉めてからも、いろいろとお問い合わせをいただいて、店を続けさせてほしいという声も何件かいただきました。
しかし、ゼロから人に教えることはむずかしいですし、また、店を閉じてしまったので、教える場所もありませんでした。1件、1件、お断りをしていたのですが、母もよく知っている人が「可能ならやりたい」と言ってくれたとき
「この人なら、やってほしい。きっとできると思う。私なんかよりもいい店をしてくれると思う」と喜んだのです。

しかし、気が強い母とつきあうのは、それはそれはたいへんですので、ぼくらはやめたほうがいいと最初は思いました。でも、ご本人が、そういうことは平気だと。それよりも、このおいしいステーキが無くなる方がね、って言ってくれたときに、ぼくらも「やってもらえたら、また、あの肉が食べられるって。