「下町ッ子」を残すことは名前を残すことではない。

母の店は、銘柄牛を売りたいというよりも、日本で何百年も守られてきた和牛飼育の伝統があるから味わえる味を輸入ビーフで育った世代の人たちに知ってもらいたいということで始まった。今は、和牛のおいしさを標榜するお店が増えてきたし。黒毛和牛という言い方や、イチボ、ランプ、ヒレ、などの部位を示して売る人も増えてきた。牛肉なら同じだと思われていたころを思うと感慨深い。

残念なこともある。
和牛の需要が増えてきて、さらに外国人にまで広まってきているのに飼育する人のたちの後継者が少なくなってきていること。
もうひとつがブームに乗って、銘柄牛を名乗りながらも伝統的な飼育で肥育された和牛ではないものも増えていること。

どちらも、ぼくたちに解決できるテーマではないけれど、知らぬ間に引き継いでいることも含めて、母が伝えたかった和牛の食文化というか、和牛と人の暮らしを感じられるような、ひとつの形として和牛のレストランをしていくことはできる。

銘柄や価格に惑わされずに、嘘のない和牛を食べて、自分の舌でハートで感じた味を、おいしいと感じてくれる人のために、母が守ってきた矜持に恥じない和牛ステーキを提供すること、、、これだけが、いつになっても母から引き継いだと言えることだ。

ぼくたちのステーキを食べた人に、「あ、そういえば昔、こんなおいしいステーキを食べたな。おばさんがひとりでやってるお店だった」とか思い出してくれることがあったらうれしい。

「あの人にならやってもらいたい」のひとことから

母は、今は、ひとり暮らしがとてもむずかしい状態になって、ご縁のある施設で暮らしている。
ここに至るまでのすったもんだもあったけれど、ひとり暮らしのときと違って、規則正しい食事、持病のために必要な食制限も守られて、薬の飲み忘れもなく数ヶ月たって、以前のように元気になってきた。

多少の痴呆が出ていいる。この物忘れ以外は、施設でも食事の支度を手伝ったりしている。
料理を作ることは、とても生きがいのようで、おかげさまで以前の元気さをとりもどしてきた。

店を閉めてから「店を引き継ぎたい」という方から、お声をかけていただいていた。母は直感と身体で覚えた技術が多く、人に教える、ましてや全くの素人の人に教える術もない。また、体力的にむずかしいのですべてお断りしていた。

その話を聞いたFさんの「そんな何も肉を知らない人ができるっていうのなら、自分がやりたい」という一言を母が聞いて、

「あの人になら教えられるよ。やってもらいたいな」と満面の笑みで言ったのがきっかけで、できるかできないかよりも、その実現をしたい気持ちが先に働いて「やろう!」ということになった。Fさんは、ずっと、人知れず母をサポートしてきてくれた方で、母の信頼が厚い。

母をアドバイザーにして、ハム職人の弟も加わって、下町ッ子再生プロジェクトが始動した。ここで、今までのことや、これからの状況を、伝えていこうと思う。

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ステーキ茶屋 下町ッ子(ステーキ茶屋 下町ッ子)


■すっかり元気になった母。孫娘との小旅行。