ぼくは肉屋に生まれて育ちました。
街の小さな肉屋だったと思うんですが、父は戦後の日本人の食について、よく語っていました。栄養も大事だけれど、味も大事だと。
そんなことはあたりまえなのに、いろいろな研究者や食のプロの人に話に行っては、今でいううざがられる。ま、みなさんには迷惑がられたと思います。w

そんな家で育ったので、おいしいものを食べて育ちました。
だから、大人になったときにおいしいものは好きだけれど、なにがなんでもおいしいものが食べたいという欲望がありません。ぐるめブームも、いろいろありましたが周りが騒いでいてもなにも思いません。誘われれば出かけていったりしました。騒ぐほどおいしいものに出逢ったことは、ほとんどありません。

日本のおいしい和牛。
とくに伝統的な飼育法で育てられた血統のいい牛肉はとてもおいしいです。
いつもこれを食べたいということではなくて、このおいしい牛肉が食べられる国でいてほしいと、思うようになりました。

個人的に好きなのは但馬の周助つるの流れをくむ血統でじっくりとゆっくり肥育されたストレスのない牛肉です。これを、家の秘伝(でもないですがw)の熟成をほどこしてステーキにして食べると、ほんとにおいしいな、って思います。

ここ1年くらい、食べていませんでした。今までも、いつも食べていたわけではないですが年に数回、実家へ帰ると食べていました。40年ちょっと和牛の職人をしていた母が自分がいちばん好きな牛の、とくに好きな部位だけを扱ったステーキの店を肉屋をやめて数年後、64歳から19年間、ひとりでやっていました。その店が閉店したのが、1年前です。

母が店をやめたのが10月。
すぐに、お客さまから、また、あのステーキが食べたいです。とか、だれもやってくれないなら、自分がするから教えてほしいとか、、、いろいろな話が出てきました。

母にとってはうれしいことこの上ないという感じだったと思います。
でも、母は「いやだれでもできるものでもないし。私が、だれにでも教えられない。」ときっぱり。

その時、おいしい牛肉が食べたいなって思う自分がいました。
食には興味なく、欲望もないと思っていた自分が、あの牛肉をまた食べたいなって思ったのです。


←クリックで詳細へ。