めずらしく母から電話があった。用件は、なんでもアドレス帳にしていたノートが見つからない。
それを探してほしいということではなくて、そこに書かれている卵を頼んでいる養鶏場の電話番号がわからないということで大事件になっているらしい。母にとっては大事件なようだ。

その養鶏場は、あるキリスト教会が経営していて、利益よりも自然というか、鶏が気持ちよく暮らせて、自然に卵を産むという仕組みを14した牧歌的な養鶏場。放し飼いにされている鶏が鶏舎(と言っても、広めの地面にフェンスをしたくらいの鶏の運動場のようなところ)で歩き回って、産みそうになったらその場で産む。翌日産み落とされている卵を農場の人が、ひとつひとつ拾っているというのどかな養鶏が、ずっとされている。母がここから卵を買うようになって40年くらいになるんじゃないかなと思う。

母がつくるハンバーグに、卵を使うらしい。そろそろハンバーグを仕込むのに卵が足りないかもしれないということで、電話をしようとしてノートが無いことに気づいた。そこで、ぼくも含めて、妹、弟、、あらゆるところに電話である。インターネットで調べたけれど教会の電話番号しかない。しかし、この番号が使われていない。教会はあるようなんだけど、、、1〜2日かかって、なんとか連絡がついたらしい。インターネットのおかげである。

安堵して、連絡ができたと語る母の声は明るく。ハンバーグをつくるのに、ほかの卵を使うわけにはいかないということで、次の休みに養鶏場を訪ねて出かけようと思っていたと言う。こういうところが、ぼくが子供のころから頑固というか、正気の沙汰ではないというか、、、母らしい。こだわりにこだわるというか、絶対に曲げない。手に入らないときは、次の納得いくものが出てくるまでハンバーグはお休みになったと思う。

そんなこんなことは昔からたくさんあって、思い出すままに話していたら「私は、これはと思ったら価格に関係なく買う。安物でもいいなと思ったら何点かまとめて買う。」この基準を曲げないという。

この間も、朝の散歩の途中で入ったファミレスで朝ごはんをかねてお茶をしていたらしい。そこに新しい朝刊(母は新聞の名前を言っていた)があって、見ていたら欲しいものが載っていた。買うことにしたけれど、メモも持っていないので、となりのテーブルのお兄さんに「書くもの持ってる?メモしたいことがあるから借りられないかしら?」と言ったらしい。そのお兄さんはペンを貸してくれて、母は持っていた本か、ノートか、レシートかなにかの裏にでも連絡先と商品名などをメモしたらしい。

ペンを返しながら「ごめんなさいね。邪魔して。ありがとう」って言ったら、お兄さんも「いや、こんなの大丈夫ですよ。いつでも言ってくださいよ。笑」と言ってくれた。母には彼の爽やかな人柄が伝わったらしい。それがうれしかったのだろう。

「そうなの?じゃ、また、次の時もお願いね」

と言ったらしい。このどこのどなたかわからない好青年とは違い、そこでぼくが言ったのは「おかあさん、そういうときは新聞の広告をやぶって持って帰ればいいんだよ」と冗談なんだけれどまことしやかに言った。母は、予想通りの返しをした。

「え、冗談じゃないよ。朝の真新しい新聞だよ。そこを破いておいたら、次に見た人が、気になるだろう。夕方のボロボロの新聞ならいざ知らず、そんな新しい新聞を破いて持っていくなんてできないよ。いやだよ。もう、あの店に行けなくなるよ」とマジレス。この人は、自分の掟のベースに世間にどう見られるか、お天道様(太陽)はいつも見ている、ということがあって、80際になっても未だに、マジレスするんdなと思った。冗談、ジョークが大好きで、ユーモアのある人だから、このマジレスが妙に印象に残った電話だった。