肉屋の時代から母は早起きだった。
少ない人数で、200名〜400名のお客さんを対面販売で対応していた。
牛肉、豚肉、鶏肉、ハムなどの加工品、食料品、手作りの惣菜が10種類以上。惣菜の準備は、他のスタッフが来てからはじめるので、お昼すぎくらいまでに販売する肉類をスタッフの出勤前までに用意していたらしい。
当時の店は、優良経営食料品小売店等表彰の第1回農林大臣賞を受賞(1977年)するような店だったし、なにより全国の食肉小売業の社長さんが視察に来ていたらしい。らしいというのは、今のように、他社の視察をしたり、受け容れたりする時代ではなかったので、店の外から客数をカウントしたり、お客さんのふりをして店内を観察したり、商品を購入したりしていたらしい。

「らしい」というのは、が、食肉業界に近い世界へ入って行ったときに、全国各地の訪問先で家が肉屋だったと話すと「どこ?」という話になり、「あ、おばさんがきりもりしているスゲー店だ。行ったことあるよ」と言われたのが一人二人ではなかったらしい。

父が描いた理想すぎる路線を、同じ業界の人からも反感を買うような路線を、母の理解の範囲で、ひたすらに続けていた。継続は力なり。何をしていたかといえば、早起きして、仕事をしていただけなのかもしれない。でも、その積み重ねが形になり、母の力になり、そして、その時代に比べたら、今は楽だと言いながら1人で和牛の店をやっていけるのだと思う。

今の店「下町ッ子」でも、肉はある程度の大きさで届き、長年の職人の技を駆使し、ひとかけらも無駄なく肉をわけ、さらに必要な整形をしています。つけあわせの煮物類、味噌汁、ご飯も、すべて自分で選んだ材料を、自分の手で作っています。お客さんには、自分で作ったものだけを出すという頑固さは、身体がしんどそうなときなどは、なぜ、そこまで守るのかと思うことがあります。それを守ってきたから今の自分がいるというか、母の矜持なのでしょうか。

今も、5時か6時ころから仕事をしているようです。そして、一区切りしたらウォーキングをして、カフェでのお気に入りの時間を過ごしてから店を開けます。

食流機構主催の優良経営食料品小売店等表彰の第1回農林大臣賞
※弟は母に近い仕事をしていて燻製の職人。無添加と自然の香辛料などにこだわったものづくりをつづけているぐるめくにひろの代表。